大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所 昭和47年(う)270号 判決 1977年2月22日

本籍並びに住居

広島県東広島市西条町大字上三永一、四一七番地の八

会社役員

田中良三

大正一二年二月六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四七年一〇月二〇日広島地方裁判所が言い渡した有罪の判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月及び罰金二〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

ただし、この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする

理由

本件控訴の趣意は、弁護人内堀正治作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、広島高等検察庁検察官検事杉本欽也作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して当裁判所は次のとおり判断する。

控訴趣意のうち事実誤認ないし法令適用の誤りを主張する部分について。

所論は要するに、被告人は興業不動産株式会社(以下会社ともいう)の代表取締役であつて、本件所得は被告人の会社のための営業活動により発生したものであり、すべて会社に帰属するものであるから、法人税法によつて処理すべきであるにもかかわらず、これを被告人の所得と認定して所得税法違反に問擬した原判決は、事実を誤認しひいては法令の解釈適用を誤つたものであるというにある。

そこで記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討するに、広島県土木建築部長作成の「宅地建物取引業者名簿等の謄本の送付について」と題する書面によれば、興業不動産株式会社は、昭和四〇年九月一三日、不動産売買、土地造成等を目的として資本金二〇〇万円で設立され、代表取締役に被告人が、取締役に田中里司、竹田俊孝が、監査役に田中君枝がそれぞれ就任し、本店は広島市的場町二丁目一番二号に置かれたこと、発起人には右被告人ら四名のほか保田明男、山下勝義、佐久間豊がなつたこと、会社は同年一一月一二日広島県知事から宅地建物取引業者としての免許を受け、取引主任者を被告人としたことが認められる。原審証人池田仁の証言、田中里司、山下勝義、池田仁、住本登の大蔵事務官に対する各質問顛末書、佐久間豊作成の上申書、被告人の大蔵事務官に対する質問顛末書一五通及び検察官に対する供述調書二通、興業不動産株式会社代表取締役田中良三作成の休業届(写)、押収してある総勘定元帳(広島高等裁判所昭和五一年押第二六号の二六七)を総合すれば、被告人は従来個人として不動産売買を行つていたが、事業が次第に大規模になつたので、個人で営業するよりも会社として営業する方が対外的に信用が高いため会社を設立して営業することとし、前記のうち被告人を除く六名及び的場日出雄に事情を話し、名義を借りて株主とし、資本金二〇〇万円で会社を設立したか、資本金は被告人が全額出資したこと、被告人は昭和四〇年九月住本登から広島市的場町二丁目一番二号の家屋の二階を賃借して事務所とし、従業員五名を使用して会社として営業を始めたが、差し当つて従前から被告人個人として所有していた資産は会社の所有とはせず、これを被告人個人として他に売却したのを会社が仲介したことにし、その仲介手数料を会社の利益に計上することにして、会社と被告人個人の取引を共に行つていたこと、ところが会社の業績は挙がらず、従業員の人件費等の経費か嵩むこと、会社組織では帳簿を作成しなければならず、帳簿を作成すると営業状態が他に判明して所得を隠蔽することができないこと、家主から家屋の明渡しを求められたことなどから会社は昭和四一年三月休業し、従業員も退職して事務所も明渡し、その後は同市西蟹屋町、中央不動産こと西尾進方を連絡場所として被告人個人として営業していたこと、昭和四〇年、四一年においては会社としての決算は一度も行われず、取引は課税を免れるため大部分を親戚、知人の名義を借りて行つていたことが認められる。所論は、会社設立に際して株主が出資しており、株主総会も開催され、株主に対する配当も行われていたというのであるが、所論に副う原審証人保田明男、同佐久間豊、同的場日出雄、当審証人田中里司の各証言、原審及び当審における被告人の供述には不自然かつ不合理な点が数多く認められ、たやすく措信できず、却つて「会社には出資していない、被告人から株主になるよう依頼されて名義だけを貸した」旨の田中里司の大蔵事務官に対する質問顛末書、「会社の株主に誰がなつているのか知らない、自分は会社には関係がない」旨の山下勝義の大蔵事務官に対する質問顛末書、「会社には全然出資していない、名義だけを貸した」旨の佐久間豊の上申書は互に符号し、また「会社の資本金は全額自已が出資した」旨の被告人の大蔵事務官に対する質問顛末書とも一致しているのであつて、これら質問顛末書及び上申書は十分信を措き得るものと認められる。また所論は、被告人は査察官から個人で所得計算する方が有利であると利益誘導されたため、会社は昭和四一年三月休業し、被告人が個人として営業したなどと真実に反する供述をしたものであるから、被告人の大蔵事務官に対する質問顛末書には信用性がないというけれども、被告人の大蔵事務官に対する質問顛末書を仔細に検討してみても、査察官から利益誘導がなされたため、被告人が真実に反して供述したものとは窺われず、被告人の大蔵事務官に対する、「会社は昭和四一年三月に休業した」旨の供述は、池田仁の大蔵事務官に対する昭和四三年四月一二日付質問顛末書、前記休業届(写)によつて裏付けられ、十分措信し得るものと考えられる。

右のとおり会社は被告人のみが出資し、他の株主は名義を貸したに過ぎないいわゆる一人会社であるけれども、かかる一人会社についても設立登記によつて法律上会社の存在が認められる以上、会社の形態が全く形式的なものに過ぎず、専ら租税回避の目的で設立され、その実体が明らかに個人の営業と認められる場合でない限り、商法の規定に従つた運営がなされているか否かにかかわりなく、税法上は法人の営業として取扱うのが相当と解すべきである。ところで興業不動産株式会社は設立後休業するに至るまで会社として営業活動をしており、証拠上それが専ら租税回避の目的で設立されたものとまでは認められないから、会社としての法人格を全く否定し去ることはできず、会社の所得は被告人個人の所得とは別途に法人税法によつて処理すべきものである。その際宅地建物取引業法所定の免許を個人が受けていたか又は法人が受けていたかということは、免許の目的からみて所得の帰属を決めるうえに決定的なものとはいえない。被告人は会社設立の後も会社とは別個に個人としても営業活動をしていたもので、会社の営業と個人のそれとを截然と区別することはできない。このような業態にある場合、会社の所得を会社の貸借対照表ないし損益計算書その他会社備付の帳簿を通して把握し、明らかに会社の所得と認められるものについてはこれを法人税法によつて処理し、それ以外は被告人個人の所得として処理するのが相当である。この観点から本件についてみるに、前記の総勘定元帳に記載されているものは会社の所得と認められるから、これを会社の所得とし、他は被告人個人の所得として処理するのが相当である。この点につき所論は、被告人は会社設立後はすべて会社のために取引したもので、自已のために取引したものではないというけれども、会社設立後も被告人が個人として営業をしていたことは被告人の大蔵事務官に対する質問顛末書及び検察官に対する供述調書によつて明らかである。また被告人は課税を免れるため、自已の取引の大部分を親戚、知人の名義を借りて行い、あるいは自已の所得の一部を知人名義で税務署に申告していたことは明らかであつて、これらの事実に徴せば被告人に所得税法違反の犯意があつたことは否定すべくもない。

原判決は、前記の見解と異なり、本件については会社取引、個人取引をしゆん別した経理内容はなされておらず、会社業務の継続性はなく、昭和四〇年、四一年度における会社として対外的に取引があつたと見られる期間も半年程度のものであり、さらに取引形態から脱税の意図があることから、法人としての所得を推計することは容易でなく、むしろ実質的に利益の帰属者である被告人個人の所得中に含ましめて、法人としての所得を否認することは実質課税の原則から許されるものと解されるとして会社の所得と被告人個人の所得を合算しているのであつて、この点において原判決には法令の確釈適用を誤つた違法があるが、前記総勘定元帳によれば、会社が設立された昭和四〇年九月から休業した昭和四一年三月までの間の会社の経理は一、五六三、五四九円の欠損を生じていたことが認められるので、これを被告人個人の所得に合計しても、被告人個人の所得が減少するだけで、被告人の不利益にはならないから、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるとは認められない。論旨は結局理由がない。

〔弁護人らは弁論において、原判決は昭和三九年末の被告人の定期預金を八、七四七、五〇〇円と認定し、その証拠として広島相互銀行の定期預金元帳綴を掲記しているが、右定期預金元帳綴によれば、同年末の被告人の定期預金は一二、七四七、五〇〇円となるのに、森沢正名義の一二〇万円、堀文夫名義の一五〇万円及び大野吾市名義の一三〇万円合計四〇〇万円を被告人の定期預金に計上せず、これを八、七四七、五〇〇円と認定した原判決には理由そこの違法があると主張する。

そこで記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討するに、なるほど原判決が定期預金の証拠として掲記している広島相互銀行の定期預金元帳綴によれば、昭和三九年末における定期預金額は所論のとおり一二、七四七、五〇〇円となるけれども、当審証人西村辰三、同羽原英一の各証言、広島相互銀行広島駅前支店長作成の刑第四〇八九号捜査関係事項照会書に対する回答書、押収してある協力預金状況表(広島高等裁判所昭和五一年押第二六号の二七六)及び右定期預金元帳綴を総合すれば、昭和三九年六月二六日広島相互銀行松原支店に、第三者から被告人のための協力預金として六ケ月定期で七〇〇万円と四〇〇万円が預けられ、右七〇〇万円は加藤春雄名義で五〇万円、森鉄郎名義で一〇〇万円、古本次郎名義で七〇万円、久保田一名義で一五〇万円、岩本治郎名義で一五〇万円、田口吾一名義で一八〇万円預金され、右四〇〇万円は堀文夫名義で一五〇万円、大野吾市名義で一三〇万円、森沢正名義で一二〇万円預金されたこと、右七〇〇万円の協力預金は満期日の同年一二月二六日一旦解約され、同日名義を変えて更に預金されたこと、右四〇〇万円の協力預金は満期後も継続して預金され、昭和四〇年七月五日解約されたことが認められるのであつて、所論主張の森沢正名義の一二〇万円、堀文夫名義の一五〇万円、大野吾市名義の一三〇万円の各定期預金は、第三者が被告人のため同銀行に預金したいわゆる協力預金であつて、被告人じしんの預金ではないから、これを被告人の定期預金として計上しなかつた原判決は正当である。そして原審において取調べた被告人の大蔵事務官に対する昭和四二年九月二八日付、昭和四三年五月二二日付各質問顛末書、当審において取調べた被告人の大蔵事務官に対する昭和四二年九月二六日付質問顛末書によれば、被告人も昭和三九年七月ころ、広陵不動産に対し、同銀行に一〇〇〇万円の協力預金をするよう依頼したことを認めているのであつて、原判決は、原審において取調べた被告人の大蔵事務官に対する質問顛末書と広島相互銀行の定期預金元帳綴を総合して昭和三九年末の被告人の定期預金を八、七四七、五〇〇円と認定したものと認められる。判決の証拠説明は証拠の標目を掲記すれば足りるもので、総合認定に供された証拠の一部に認定事実と符号しない部分があるときは、これを採用しなかつたものと解すべきであつて、掲記された証拠のうちこの部分は除く旨特に記載する必要はないから、原判決の理由にそごは存しない。

次に弁護人らは、被告人は昭和三九年に鍵原若一に広島市皆実町二丁目の中野工業跡地を代金一、〇六二、〇〇〇円で売却して手付金一〇万円を受領したが、残金九六二、〇〇〇円は同年中に受領していないから、これを同年末の未収入金として計上すべきであるにもかかわらず、原判決はこれを計上していないというのである。

そこで記録を調査して検討するに、なるほど反面調査回答書(広島高等裁判所昭和五一年押第二六号の六)中の鍵原若一作成名義の回答書(同回答書綴一二〇丁参照)によれば、同人は昭和四二年五月二日付で、昭和三九年一二月一〇日広島市皆実町二丁目四九七-一、宅地二七・九五坪を代金一、〇六二、〇〇〇円で購入し、同日内金一〇万円、昭和四〇年二月八日残金九六二、〇〇〇円を支払つた旨広島国税局長宛に回答しているけれども、他方鍵原晴雄作成名義の上申書(記録三八八丁参照)によれば、同人は昭和四三年四月九日付で、鍵原若一(昭和四一年一二月八日死亡)は昭和三九年一一月一〇日右土地を代金一一〇万円、同地上の建物を代金一五五万円で購入し、同日三〇万円、同年一二月三〇日八〇万円、昭和四〇年二月一〇日一五五万円を支払つた旨広島国税局収税官宛に上申書を提出しており(右建物代金一五五万円は所得の対象から除外されている-記録八三七丁参照)、右鍵原若一は昭和四一年一二月八日死亡したことが右鍵原晴雄作成の上申書によつて認められるから、右鍵原若一作成名義の回答書は同人の死亡後作成されたことになり、何人が作成したものか不明であつて、その記載内容もたやすく措信し難い。原判決が証拠として掲記している鍵原晴雄作成名義の上申書によれば、前記のとおり昭和三九年一一月一〇日三〇万円、同年一二月三〇日八〇万円が支払われていて、これによつて土地代金一一〇万円が支払われたものと認められるから、土地代の支払は昭和三九年中に完納されているので、被告人には同年末には右土地について未収入金は存しない。原判決がこれを同年末の未収入金として計上しなかつたのは正当である。〕

なお、職権をもつて調査するに、原判決は(計算関係)の項二において、西本浦町の土地について、売主鍵本高夫は同人所有の土地を被告人に対し昭和三九年九月一六日に代金一、九五六、九六〇円で売渡し、同日被告人が手付金四〇万円を交付し、残額は昭和四一年一二月二七日に支払つた旨認定しているのであるから、残額一、五五六、九六〇円は昭和三九年末及び昭和四〇年末とも未払金として計上すべきであるにもかかわらず、原判決はこれを昭和三九年末の未払金として計上していない(原判決の昭和四〇年一二月三一日現在修正損益対照表負債の部過年度金額未払金欄及び未払金明細書三九年度の欄参照)。また原審証人西尾進、同伊吹喜已香の各証言、押収してある森末庄平作成名義の領収書二通(広島高等裁判所昭和五一年押第二六号の二七四、二七五)によれば、森末庄平は同人所有の矢賀上組の土地を、昭和四〇年一月九日、被告人に対し代金五、三三〇、三八〇円で売渡し、被告人は同人に対し、昭和三九年一一月二二日、同年一二月二一日の二回にわたり合計二〇〇万円の手付金を交付していることが認められるから、昭和三九年末に前渡金として二〇〇万円を計上すべきであるにもかかわらず、原判決はこれを計上していない(前記修正貸借対照表資産の部の過年度金額に前渡金は計上されていない)。これらを同年末の未払金あるいは前渡金として計上すると、昭和四〇年における被告人の所得金額は、別表一、昭和四〇年一二月三一日現在の修正貸借対照表負債の部申告所得金額及び申告外事業所得金額を合計した七、一八三、八七八円となり、これに対する所得税額は二、五八七、〇〇〇円であるから、ほ脱額は二、五一〇、九五〇円であるにもかかわらず、原判決は同年における被告人の所得金額を七、六二六、九一八円、これに対する所得税額を二、八〇八、九〇〇円、ほ脱額を二、七三二、八五〇円と認定しているのであつて、原判決には事実の誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。

よつて量刑不当の論旨に対する判断は後に自判する際に譲り、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄したうえ、同法第四〇〇条但書に従い当裁判所において更に自ら被告事件について判決することとする。

(罪となるべき事実)

罪となるべき事実は、原判示第一の昭和四〇年分の所得金額七、六二六、九一八円とあるのを七、一八三、八七八円に、所得税額二、八〇八、九〇〇円とあるのを二、五八七、〇〇〇円に、正規の所得税額と右申告税額との差額二、七三二、八五〇円とあるのを二、五一〇、九五〇円に、原判示第二の二行目の所得金額とあるのを所得税額とするほか、原判示事実と同一であるから、ここにこれを引用する。(なお別表についても、別表一、二、三以外は原判決の別表と同一であるから、これを引用する。)

(証拠の標目)

(未払金)三九年度の欄に鍵本高夫作成の領収書一通(広島高等裁判所昭和五一年押第二六号の二七二)を、(前渡金)三九年度の欄を設けて、森末庄平作成の領収書二通(広島高等裁判所昭和五一年押第二六号の二七四、二七五)を付加するほか、原判決挙示の証拠と同一であるからこれを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、いずれも所得税法第二三八条第一項に該当するので、情状により懲役刑と罰金刑を併科することとし、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法第四七条本文、第一〇条により犯情の重い判示第二の罪につき定めた刑に法定の加重をし、罰金刑については同法第四八条第二項によりこれを合算した刑期並びに金額の範囲内で、本件犯罪の性質、動機、態様、ほ脱額などを考慮して被告人を懲役六月及び罰金二〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは同法第一八条により金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、同法第二五条第一項第一号を適用して、この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

検事稲垣久一郎公判出席

(裁判長裁判官 宮脇辰雄 裁判官 野曽原秀尚 裁判官 岡田勝一郎)

別表一 修正貸借対照表

昭和40年12月31日現在

<省略>

別表二

脱税額計算書(昭和40年度)

<省略>

脱税額計算書(昭和41年度)

<省略>

別表三 未払金明細書

<省略>

○ 昭和四七年(う)第二七〇号

控訴趣意書

被告人 田中良三

右被告人に対する所得税法違反被告事件の控訴の趣意は左記のとおりであります。

原判決は事実を誤認し、ひいては法律解釈を誤つており、また仮に然らずとするもその量刑不当であり破棄せらるべきものと思料する。

第一 本件公訴事実は無罪と思料する。

本件については先ず所得の帰属の問題がある。即ち原判決は、本件所得は被告人個人に帰属すべきものと認定せられ所得税法違反を以て起訴せられているが、被告人は興業不動産株式会社(以下会社という)の代表者であつて、本件所得は被告人の会社のための営業活動により発生したもので会社に帰属すべきであるから被告人について所得税法違反の罪は成立しないものと思料する。

第二 本件所得の帰属について

(一) 本件において興業不動産株式会社なる会社が実在していることは問題ない事実と考える、会社は昭和四〇年九月三〇日設立せられその登記手続も完了しているので公的に形式要件を具備している。証人保田秋夫、同佐久間豊、同的場日出雄の各証言を綜合すると会社設立に際し出資したことは優に認められるのである。反面田中里司の査察官に対する供述によると恰も会社に出資していない如く見えるのであるが、之は被告人が後述の如く査察官の誘導により査察官との合意により、本件所得を被告人の所得として把握することになつていたので、右里司らに働きかけ、しかも里司も本件に関連したくないと思つていた矢先なので、故意に事実は出資しているのに出資していない旨の供述をしたものであり採用すべきでない。

(二) 原判決は被告人の行為から考察して被告人自身会社の存在を否定していると論断されるが、実際はそうではない。

先ず理論として前記の如く会社が存在し被告人がその代表者である以上その営業目的の範囲内の行為は会社のための行為と見るべきであつて被告人の私的な行為と見るべきではない。

このような場合被告人の営業活動は、被告人の意思如何に拘らず直ちに会社の行為と見なされることは法の常識とするところである、即ちこのような商業活動については、法的安定の立場から劃一性を尊重し客観主義を基調としているからで、ここで敢えて被告人の主観を追究することは無意味である。

成程被告人の行動のうちには専権的行為もあり、恰も会社を無視した如きものもある。然し被告人が専権的であつたからと云つて、その行為が変質し、被告人個人の行為となるべきものではない。会社の代表者の行為はそれが如何に専権的であつてもあくまで会社の行為であり、之を以て直ちにその行為が私的行為に変質するかの如き評価は感情的評価方法であり、評価方法を誤つたものと云うべきである。またこの専権的ということに関連し被告人が第三者名義で取引を行つている事実により、之が本件の心証形式に影響していることが考えられる。然し会社の行為として行為する場合にも第三者名義を利用することは屡々行われることであるのは裁判所にも顕著な事実であり第三者名義を利用することが即私的行為と云えないことは勿論である。以上の如く被告人の行為は本質的に会社の行為とみなすべきところ、更に之を実際面から被告人の行為を検討すると会社活動と認むべき事績が多々存するのである。

(イ) 不動産業免許は昭和四〇年一一月一二日会社が取得している。云うまでもなく不動産業は会社の営業目的の重要部分を占めるものであり、これを会社が取得していることはあくまで会社を業務主体と考えていたことの証拠である。

(ロ) 営業活動に関連し、会社の名義を使用していたことは証拠のうちに数多く認められるのであり、被告人が会社を無視していたというのは当らない。

(ハ) 証人保田秋夫、同佐久間豊、同的場日出雄の各証言と被告人の供述を綜合すると会社は株主総会の開催、配当も行つていることが認められる。尤も株主総会の開催及び配当も必ずしも商法所定の手続きを履践した上ではないけれどもこのような手続きを履践していないことは我国中小企業の大半の実情であり、被告人の意思として株式総会或いは配当の気持であつたことは間違いなく、してみると被告人が会社活動として行動していたことが認められる。

(ニ) 被告人は本件査察前の昭和四二年八月一二日安佐郡可部町大字中野字上ケ原及び又開の山林二一筆合計二万七三一七平方米の資産を会社名義としており被告人が会社を無視していたとは到底云えない。

この点に関する被告人の査察官に対する供述は昭和四二年九月二一日質問顛末書第二二問以後の問答となつているが要旨は従前は法林慈範の名義であつたが、法林を信用しない訳でないが万一のことを考えた。会社の名義にしたのは被告人の名義が容易に表に出ないからだという趣旨になつている。このうち前者は暫く措き、後者の供述は全くでたらめも甚しい。即ち被告人は会社の代表者であり、会社名義にすれば糸をたぐれば直に被告人の名前がでるのであり、被告人の名前を出さないのが目的なら、従来も多くの第三者名義にすればいい訳である。それを敢えて右のような実際と反する供述をしたということは、要するに被告人が査察官と合作して本件所得を被告人個人の所得としようと努力していたからに違いなく、それは被告人がその方が有利であると誘導されていた為である。この被告人の気持は調書全体の底流をなしており、ここにその一端を露呈したに過ぎない。被告人の顛末書はすべてこの見地から判断をして頂きたいのである。

三 前項に関連する事項について更に検討する。

(イ) 被告人は査察官の取調に対し会社活動は昭和四一年三月から休止し以後は専ら自己のため営業した如く供述しているが、この様な供述をした理由は査察官から個人で所得計算をする方が有利になるから国税局の調査に協力しなさいと利益誘導されてそれを信じた結果である。本件所得がどちらに帰属するものかどちらが有利かということは被告人にとつては不明なことであり有利になると云われ盲従したに過ぎず、また元来この種認定は被告人が決定すべき事項ではなく客観的に決定すべき事項であり、この供述を証拠とすることはできない。

(ロ) 被告人が昭和四〇年度においては被告人及び剥田健三の名義、昭和四一年度においては被告人を含め剥田健三外五名の名義で確定申告しているが、この事実を以て被告人が自認したと云うことはできない。被告人がこの様にいわば分散申告をしたことは本件所得を生じた基本契約が前記剥田等の名義を使用して行われた為当然の結果としてそれらの名義を使用して申告したに過ぎないのであつて実質課税の原則の問題以前のことである。

四 そもそも所得が誰に帰属するかという「実質課税の原則」規定は、法人税法並びに所得税法の上において認められるところであつて、この規定はその所得自体の実質上の帰属関係の確認規定であり、資産又は所得の帰属者が単なる名義人であつてこの名義人に課税するときには、そこに、租税負担の回避が行なわれる場合に、この負担回避行為を防ぐために適用されるべきものであつて、この規定は課税官庁側のみに限らず納税者側にも反対利用されうるものである、本件の場合は資産又は所得の帰属者名義が凡て被告人個人名義でもなく会社名義又は第三者名義も含まれるのであるが、これらを劃一的にその実質所得帰属者を被告人個人と推認し、財産増減法の手法により所得を推計しているが、これはその実質所得帰属者の実体を充分に審理をせず、被告人の供述をその唯一の立証根拠(しかもその供述を採用すべからざること前記のとおりである)に徴税上の便宜ないしは必要性の観点のみから課税容体を被告人個人として課税されているとしか認めざるを得ない。

第三 量刑不当

原判決は起訴に係るほ脱額を更正(是正)している。之に先ち被告人は起訴に係る金額により、税額、重加算税額を納付しているのであり、之を考慮すると被告人に対しなお多額の罰金を科したことは量刑不当と云わざるを得ない。

第四 以上理由により適正な判決を求めるため控訴に及んだものである。

昭和四八年二月二〇日

右弁護人 内堀正治

広島高等裁判所 御中

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例